ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ

勉強って、ほとんど頭使わないよね。
人様に言われたことを、やればいいんだから。
あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。
親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。

勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということですよ。学生のときの勉強だけが勉強じゃない。


学生のころ勉強ができて、高学歴な人が、社会人になってぱっとしないということはあるかもしれない。その原因は明らかですよ。社会人になって勉強しなくなったから、だめになってしまったのです。
学生のときに必要な勉強と、社会人になってから必要な勉強は違う。それぞれの環境やステージによって必要とされる勉強は違うのです。
学生のころ勉強できたとしても、社会人になって勉強することを怠ったとしたら、それはだめになって当然でしょう。


「勉強をする力」と「なにをどう勉強すればいいか考える力」も違うもの。学生のころは、「なにをどう勉強すればいいか考える力」は、あまり必要とされない。なぜなら、学校や先生が教えてくれるから。
でも、実際に必要なのは、「なにをどう勉強すればいいか考える力」。その力がないと勉強ができなくなる。勉強ができなくなるから、だめになっていく。
学生のころ勉強ができた人が、社会人になってだめになってしまうのは、「どう勉強すればいいか考える力」がかけているせいじゃないかな。社会人になったら、どう勉強すればいいのか誰も教えてくれないから。


だから、「勉強って、ほとんど頭使わないよね」っていうのは、「勉強をするのに頭を使わない」という意味では正しい。確かに、勉強をするというのは、努力をするということで、たいして頭を使わないからね。
でも、なにをどう勉強すればいいか考えるには頭を使いますよ。
「勉強ができる」状態を保つには、頭を使わなければいけない。「頭を使わなければいけない」というのは、「頭が良くなくてはいけない」という意味ではないですよ。頭を使って一生懸命考えることが重要だということです。