ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

Seasarはなぜ日本から巣立たない?

正直な話、Seasarはほとんど触ったことがない。
ただ、せっかくいいものを作っているのに、
日本からなかなか巣立つことがないのは
もったいないと思う。

これには、明確な理由があります。日本人の特にソフトウェアにおける「舶来信仰」をぶちこわすためです。
自分たちであまり考えることなく、海外ではやっていたらそれをそのまま受け入れる傾向が、日本人には強いように思えます。それっていいことだとはあまり思えません。
例えば、Rubyも海外からのRails効果でブレイクしたわけです。ちょっと悔しくないですか。せっかく日本で作られたすばらしいソフトウェアなのに、海外で認められるまでは、日本人は、一部の人を除いては評価できなかったわけです。
後、ソフトウェアをやるならアメリカ行けとかシリコンバレーに行けとか。場所なんか関係ないんじゃないの、もちろん、海外にも優秀な人は多いと思いますが、日本にも優秀な人はいる。だから、日本が良いというわけではないですよ。場所は、本人の力が出せるとこならどこでもいいジャンということです。まつもとさんがそれを証明してる。
仮にSeasarが先に世界に出て成功して、日本に逆輸入されたとしましょう。それって、なんて「舶来信仰」。
だから、私は先に日本で成功するまでは、海外には進出しない。日本人に選ばれたものが、海外でもまた成功すれば、日本人も「舶来信仰」の呪縛が解けることでしょう。
日本ですら成功しないかもしれないけど、日本人の「舶来信仰」の呪縛をとくためにチャレンジしてみたいと思うのです。
追記:ぶくまのコメントに対するコメント。


日本人の「舶来信仰」の呪縛をとく』ことは、ソフトを(世界中で)多くの人に使ってもらうことよりも重要なのだろうか。
もちろん、ソフトウェアを作ったからには、多くの人に使ってもらいたいですよ。でも、海外で認められてそれが日本に逆輸入されたとしても、日本人って変わらないじゃないですか。
自分たちの意思で、良いものは良いと認めて使う。そういう日本にしたいんです。少なくてもソフトウェアの世界はそうしたい。
たぶん、私はかなりの欲張りです。日本も変えて、プロダクトも成功させたいと思っているんだから。時間もかかるし困難なことだと思いますが、チャレンジしてみたいと思っています。
追記2:
ぶくまのこめんとをみていると、誤解している人がいるようです。それは、私の書き方が悪いせいだと思いますが、「海外で成功した後、日本で成功」しても、「日本で成功した後、海外で成功」してもSeasarにとっては、どうでもいいことです。
ただし、日本人にとっては、「海外で成功した後、日本で成功」しても舶来信仰の呪縛は解けないでしょう。だから挑戦してみたいのです。