コミッタには気楽になっていいんだよ
コミッタは自分で名乗り出てなるものではない
と思う。もちろん、自分自身で新しい何かを作った時は、自動的にそのプロダクトのコミッタに就任しても良い。しかし、他人のプロダクトに対して、
「コミッタにならせてください」
っていきなり名乗り出るのは、OSSの世界を知らないにも程がある。
「コミッタにならせてください」っていきなり名乗り出てもいいと思うよ。
基本的にOSSのプロジェクトの方針は、そのプロジェクトのリーダーが決めるもの。よういちろうがリーダーをやっているプロジェクトなら「コミッタにならせてくださいといきなり名乗り出るのはありえない」という方針でもいいでしょう。でも、その考えをOSS一般の考えのように言うのは違和感あるよ。
OSSを知らない人が、よういちろうのblogをみたら、間違いなく「コミッタにならせてくださいといきなり名乗り出るのは間違ったことだ」と思うでしょう。
OSSはそんな窮屈なところじゃない。
- 自分の成果は誰でも見れるように公開する
- 他人の成果を見ながら自分自身を成長させる
この正のスパイラルで成り立っているのがOSSなんじゃないの。この辺の原則が守られていれば、後は自由でいいんじゃないかなぁ。
少なくても、私がリーダーをやっているプロジェクトは、誰でも気楽にコミッタになっていい。仕事が忙しくなったり、情熱が続かなかったりして、コミッタとしての活動ができなくなる人もいるかもしれない。でもそれでもいい。活動できるようになったらまたはじめればいいんだから。
やっぱりコミッタになるのは自分がそのプロダクトが好きだからだろうし、もっと言えばそれによってプロダクトと一緒に自分が成長したいからだと思う。
少なくとも自分はそう。
だから、それなら「先に行動して貢献して認められようとアピールしなよ」、という意見は至極まっとうだと思う。
つまり
Act First.
Act Firstっていってるけど、よういちろうのblogをみると「コードに対する貢献をしたんだから、コミッタにしてくれ」っということなので、行動してるジャン最初に。好きだからこそ、コミッタになりたいと思うんでしょ。
「コミッタになりたいということは許されず、黙々と奉仕を続けて、いつの日かやっと認めてもらってらコミッタになれる」ってのは一般の人には敷居が高く感じるでしょう。
プロジェクトの方針は、リーダーが自由に決めればいいから、何がいいとか悪いとかは言わないけど、「コミッタになりたいということは許されず、黙々と奉仕を続けて、いつの日かやっと認めてもらってらコミッタになれる」というのがOSSのあたりまえだと思われるのは、参加の障壁が高くなるからOSSのためにならないと思うよ。
それが「OSSのあたりまえ」というならおいらの目には悪しき習慣に見えるね。あくまでも個人的な視点だけどね。
「今回これだけの貢献をしました。引き続き貢献していきたいので、コミッタにしてください。」
積極的でいいじゃん。もし、その人の技量が見えないうちにコミッタにするのが不安なら、素直にそういえばいい。ちゃんといいたいことは言ったほうがいい。そのほうが信頼関係も深まるでしょう。