ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

10年間泥のように働いて花が咲きました

蓮の素晴らしさを語りたかったら、まずは花を見せるべきなのだ。花がわかってはじめて泥の重要さがわかってくるんだから。


2008-05-29 - ひがやすを blog
小飼弾のアルファギークに逢ってきたのメンバーと学生会の討論会を開くのだ。
もちろん、司会は、ダンコーガイ。いいよね、弾さん。


もちろんOK。というよりもすでに同様の話がいくつも来ているので、この通りになるかとにかく、ちゃんと「花」がある討論会はできるだろうし実現するだろうしすでにいくつか実現している。


しかし、これはこれでどうしても偏りが出る。10年も泥の中にいた人というのはさすがにこのメンバーの中から見つけるのは難しい。そしてIT業界の広さを考えれば、本当にそういう人がいてもおかしくないはずなのだ。

10年間SIerで泥のように働いたおいらが通りますよ。

おいらが、最初に就職したのは、電通国際システムという会社で、今のうちの会社(電通国際情報サービス)の子会社だった。ちょうど出来立ての会社で、おいらたちは、一期生だった。それが、1992年。

「大きな会社に入ると、最初は地道な下積みだけど、出来立ての会社なら、最初からいろんなことがさせてもらえる」そう思って、出来立ての会社に入ったのだ。

もちろん、基礎も下積みも大事だけど、それだけだとモチベーションが出にくいよね。やはり、お客様の役に立ってると実感したかった。

お客様は、都銀の企画部の人。案件は、難しい金融商品の話ばかり。

最初の一年は、超金融の勉強をした。本屋にいって金融をやる上で必要になりそうな本は、何十冊と買って読んだ。また、やってた案件が都銀の海外支店のバックオフィス用のシステムだったので、そのバックオフィスで使われる機能は、全部試した。入力項目の意味がわからなければ、先輩に聞き、出力される帳票が理解できなければ先輩に聞きというように、貪欲に知識を吸収した。

一年後、お客様にかわいがってもらい(知らないことは教えてもらい)ながら案件もいくつか任せてもらえるようになった。SIとは、お客様のいっていることを理解して仕様に落とし込み、プログラマに作ってもらうことだと思っていたのもこのころだ。

そう、自分自身ではプログラムを作っていなかったのだ。このころは、AS400ってオフコンを使っていたんだけど、AS400で何ができるか大体わかっていれば、実際にプログラムを作れなくても業務の仕様を決めることができた。汎用機の世界も大体同じじゃないかと思う。

そんな経験を持つ人が、管理職や会社の経営層にいるとどうなるかっていうと、「最新のプログラミングの知識がなくてもコンピュータで何ができるか知っていれば業務の仕様は決められるから、自分たちは単価の高い業務仕様を決めるところを担当し、プログラミングは別の会社に任せればよい」と発想するようになる。

昔は、それで間違ってはいなかった。汎用機やオフコンの世界は、プログラミングの技術が進化することはほとんどない(と思う)ので、だいたいプログラミングでできることを知っていれば、細かいことを知らなくても業務仕様を決める分には困らない。また、ほとんど進化しないので、新しいことを覚える必要がない。

プログラミングに付加価値がないので、単価が安くなる。昔はそれが当たり前だった。おいらもそういうものだと思っていた。

そんな変化のないSIの世界もクライアントサーバ(C/S)型の登場で一気に変わった。汎用機やオフコンよりも圧倒的に安くシステムが作れるようになった。それと同時にプログラミングの世界は常に進歩していくようになった。プログラムで何ができるか知らないと、業務の仕様もきちんと決められなくなってきたのだ。

おいらは、そのことを1996年から2000年くらいまでC/S型の開発をやることで実感した。また、SQLやプログラミングの能力で生産性が大きく変わることも知った。niftyのオラクルやDelphiのフォーラムで、まさたかさんや羽生さんに会ったのもそのころだ。このころは、がむしゃらに、オラクルやDelphiを勉強した。

日本のSI業界の重鎮たちの発想が古いのは、C/S以降の開発を知らないからだ。C/S時代は、既に偉い人で、管理業務だけやっていたんだろう。その人たちにC/S以降の開発を知っていますかと聞けば、たぶん知ってるよと答えるだろう。でも、それはきっと日経XXXのような雑誌で読んだ知識に過ぎないと思う。現場にいなかったから、現実を知らないのだ。

新人にプログラミングをろくに勉強させず、いきなり上流工程を任し、下請けに下流工程を丸投げするという今のITゼネコンの構造は、そんな古い重鎮の思考パターンが生み出したものだ。今は、プログラミングもきちんとできないとちゃんとした仕様書はかけないというのに。

C/Sの時代は、VB全盛で、Delphiのようなオブジェクト指向言語は、あまりはやらなかったけど、1996年に登場したJavaは2000年当時、はやる気配があった。おいらも2001,2002とJavaを使った案件を実際に経験し、Javaっていいなぁと思った。

そんな10年間泥のように働いた経験をベースに生み出されたのが、Seasarだ。最初のSeasarは、2003年の夏にSourceForgeで公開された。

泥のように働くことは悪いことじゃない。ただし、泥のように働かされることにならないように注意して欲しい。