ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

弾さんは自慢しているわけじゃないと思うよ

何故dankogaiはいつも自慢ばかりしているのかなんてことは、分かっている人には今更説明するまでもないことであるが、バカばかりのはてなーにも分かるように説明してやると、それはずばり補償行為であるからだ。簡単に言うと、類まれなる才能と知力を有しているにも拘らず不当に貶められた過去を、自分で自分を褒めることによって補償しているのである。どこからどう見ても明らかであるその実力を不当にも認めなかった相手に対して、どうだ今俺は成功したぞ自分の優秀さを証明したぞと大声で叫んでいるのである。過去に向かって。

消毒たんを消毒しても余り意味ないけど、おいらも下記のように自慢しているとかかれたことがあるので、ちょっと解説しておくよ。

いつも文章を読んで思うんだけども、最終的には自慢的なニュアンスが含まれているのが多い、それは「あなたとは違うんです」って印象を与えると思うんだけどもどうお考えですか??
ひがみでもやっかみでもなく、一個人としてそういう印象を受けた人がいるということで、それについて記しておきます。


自分の成功談を語ることが、自慢に見えてしまうのは、しょうがないと思うけど、弾さんもおいらも別に自慢しているわけじゃない。

実力が他人に認められている場合には、わざわざ本人が自慢などする必要はない。自慢をしなければならないのは、それを周囲が認めようとしないからだ。

消毒たんもかいているように、人が自慢するのは、周囲に認めてもらえないから。
でも、弾さんもおいらも、それなりに(狭い)世間に認められていると思うので、別に自慢する必要なんかない。


じゃなぜ成功談を語るのかっていうと、次の世代の人にちょっとでもヒントを残したいから。少なくても俺はそう。成功談のなかには、苦労した原因とそれをどのように克服したかが含まれているはず。


自慢は人から疎まれる原因になることは良く知っている。だからこそ、自慢することはない。自分の得にならないからね。