ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

モッチーに絶望した

目からうろこが何枚も落ちた
オープンソースの“人間的本質”

Matzは、すごい人だけど、Matzとの対談で、オープンソースの人間的本質がわかったと思っているモッチーには、絶望したよ。
オープンソースはいろんな人がいるんだからさ、Matzと違うことを考える人もいっぱいいるよ。そんなのあたりまえ。
例えば、

オープンソース世界では、他者に何かを強制する道具立てがまったく存在しない。「お前、これをやれ」と人に強いるための裏づけがない。経済的な取引という概念も存在しなければ、雇用関係を基盤とする組織的指示命令系統も存在しない。すべては参加者の自発性だけに委ねられて、プロジェクトが進行する。プロジェクトが成功するも失敗するも、すべて参加者の自発性次第なのだ。ならばその自発性はどこから生まれるのだろうか。そこにオープンソースを考える本質がある。
「私の動機は利己的なものです」

Matzは、いい意味で利己的にオープンソースをやってると思うけど、おいらは、人のために役に立てると思うからオープンソースをやる。だってさ、自分のため(利己的)にオープンソースをやるのは、つらすぎるもの。
好き勝手に、いろんな人に、いろんなことを言われるからさ。自分のことを考えるなら、やめたほうが、つらいことから開放される。
それでも、オープンソースを続けているのは、「人のために役に立つことをしなさい」という親か遺伝子レベルのすり込みがあるせいだと思う。
まぁ、こんな風に、オープンソースにかかわっている人にはいろんな人がいる。別に、オープンソースを語るのは、かまわないと思うけど、一人と語っただけで本質がわかると思うのは、超間違い。
これは、オープンソースに限らないと思うけどね。