ひがやすを技術ブログ

電通国際情報サービスのプログラマ

人間的魅力がない人はリーダーになれないのか

小野さんのところでこんなつぶやきがありました。

九州大学の授業なんだけど、「リーダーになるためには人間的魅力が必要だと思いますが、人間的魅力がない場合にはどうすればいいでしょうか」なんという質問!


この後に、清水さんの「だれでも努力次第でリーダーになれる」というのは詭弁だという話に続きます。

「だれでも努力次第でリーダーになれる」
僕はそれを詭弁であり欺瞞だと思う。
優秀な開発者になるのとも、マネージャになるのとも違う。リーダーになるのは、純粋に性格、才能なのだと思う。


この話の詳細は小野さんとこに

shi3zさんが私について、「嘘を平気でつける人間」であり、それ故に「欺瞞に満ちた人間」であると言っている理由は、九州大学の授業に参加している生徒達に対して、shi3zさんが「君たちは僕のようには決してなれないから、才能ある人間の邪魔だけはしないようにしてほしい」というスタンスである(彼曰く、正直であるが故にそう言ってしまう)のに対し、私は「shi3zさんはああいっているけど、ここに参加している人も、shi3zさんのように生まれつき極端に目立っている人でなくとも、講師陣のようになれる」と言っていることについて、「慶応SFCを出ていて、その中で新入部員が100人いたのが4年の時には2人くらいしか残らない弁論部の部長を務めていて、高校の時は陸上で都内トップクラスのタイムを出して、自分が普通ではないと知っていて、学生はそんな風になれるはずないと思っているのに平気で嘘をついている」からだそうである。


「だれでも努力次第でリーダーになれる」かどうかはわからないけど、リーダーになるのは、純粋に性格、才能だというのは、間違っていると思います。
例えば、小野さんが慶応SFCの弁論部の部長だというのは才能でしょう。でも才能を開花させるためにかなりの努力をしているはず。仮に努力無しで才能だけで成功したとしても、2人くらいしか残らない弁論部の部長になるという才能が、リーダーになれることと大きく関連あるかというとそんなことはないでしょう。何十名、何百名の部の部長なら話はわかりますが。
高校のときに陸上で都内トップクラスのタイムを出す才能も、リーダーになれることとは関係。


性格もリーダーになるための決定的な要因ではありません。
例えば、私は、OSSとしては結構大きな部類に入ると思うSeasar Projectのリーダーをやっています。でも、もともとの性格は、協調性がなく、人の話を聞かない、わが道を行くタイプの性格です。
小学校のときに、学級委員長に選ばれた(成績は良かったから)ものの、先生から「あなたは、学級委員長(リーダー)には性格的に向いていない」といわれて、辞めさせられたほどです。学級委員長を途中でやめさせられた人って聞いたことないでしょ。それくらい、もともとの性格はリーダーに向いていないのです。


じゃ、なぜ今リーダーを曲がりなりにも続けていられるかというと、チーフコミッタ(リーダー)という立場によって、リーダーとしての自分が作り上げられたからです。
リーダーの立場を何とかしてこなそうと努力すると、少しずつリーダーっぽくなってきます。立場と努力がリーダーを作り上げるのです。


これは、リーダーだけではなく、いろんなことに当てはまると思います。自分に才能がないと思い込んでチャレンジすることをやめてはいけません。チャレンジして努力しているうちに、自分自身の才能が少しずつ開花していくのです。